「百鬼園随筆」 内田百閒

本書は昭和8年10月三笠書房から出版されベストセラーになった随筆集。今回は新字新仮名遣いの新潮文庫版を読んだ。随筆集と言っても小説も入っている。ヒマラヤ山系君こと平山三郎によると「『冥途』以後に書かれた小品・随筆的文章・小説を、なにもかもこの文集に入れてしまった」らしい。新潮文庫版の表紙は芥川龍之介が描いた百閒先生図が使われている。初め現代のヘタウマ系イラストレーターが描いたのかと思った。

寄せ鍋的というか闇鍋的というか色々な題材が散らばっており百閒先生の真骨頂を遺憾なく発揮している感じだ。管理人が面白かったのは借金関係の文章と百鬼園先生言行録。百閒先生は大学の先生であり、作家でもあり、それなりの収入がったのになぜ借金が増えていくのか不思議だった。身近なところからお金を借り、返済に困窮すると高利貸しにも手を出しますます困窮する。月給が出ても借金の差し押さえで手元に殆ど残らずまた金策に走らなければならない。月給日が一番憂鬱な日になる。これでよく生活していたなと思う。

 百鬼園先生思えらく、人生五十年、まだ後五六年あると思うと、くさくさする。一年の中に十二ヶ月ある。一月に一度は月給日がある。別に死にたくはないけれど、それまで生きているのも厄介な話である。人生五十年ときめたのは、それでは生き足りない未練の命題である。余程暮らしのらくな人が考えた事に違いない。
 生きているのは退儀である。しかし死ぬのは少少怖い。死んだ後の事はかまわないけれど、死ぬ時の様子が、どうも面白くない。妙な顔をしたり、変な声を出したりするのは感心しない。ただ、そこの所だけ通り越してしまえば、その後は、矢っ張り死んだ方がとくだと思う。とに角、小生はもういやになったのである。

百鬼園先生学校へは毎度遅刻して、試験を行うのを忘れたりと普通の先生らしくない。教え子の結婚式で珍妙な祝辞を述べたり、変な隠し芸を行う。まるで「偽坊っちゃん」のようだ。自宅へは頻繁に学生が遊びに来るようなのでそれほど嫌われた先生ではなかったのでは。本書を読んでみて、本書が長く読み継がれているのを納得した。

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