「七つの街道」 井伏鱒二

本書は七つの旧街道を訪れる紀行文集。巻末には三浦哲郎『久慈街道同行記』がある。本書では東海道などの大きな街道ではなく、比較的小さな街道を訪れている。歴史的な記述も多く歴史紀行と言ってもよいと思う。街道の旅には編集者の印南君がお供をしている。昔の文士の旅には編集者が必ず随伴したのかどうかはわからない。内田百閒の『阿房列車』でもヒマラヤ山系君が同伴していた。

著者が訪れる街道の街では、地元の人が案内をかってでる。多くは役場の人で、郷土史家も一緒の場合がある。著者は地元の郷土史家から資料を借りたり貰ったりしている。地元のことは地元の人に聞くのが一番。地元の人に関する話が本書の魅力のひとつ。『甲斐わかひこ路』の焚火する人の話、『天城山麓を巡る道』に登場する女将や釣り名人、『「奥の細道」の杖の跡』で著者が目撃した金色堂の説明人などが印象に残っている。

この旅で著者は偶然知り合いに会うことが度々あった。宇都宮の駅で著者は草野心平に出会った。草野心平に方言を書き留めておけと言われ、著者はあらかじめ原文を用意し行く先々で、その原文をその地方の方言で話してもらい書き留める。著者は抑揚の微妙な点を写しとることが出来なくて残念であると書いている。

・・・私はこの旅行では、不思議に知人に巡りあった。宇都宮の駅でも偶然に詩人の草野心平に逢った。草野君がプラットフォームでふらふら歩いているのを見つけたので、汽車から降りて「どうした、酔っているのか、どこへ行くんだ」ときくと、「山形へ行くんだ。眠れないから、アドルムのんだよ。あと四十五分したら眠れるんだ」と云った。「では、四十分ほど、つきあわないか」と食堂車へ誘って、時計を気にしながらビールを飲んだ。草野君は山形の高等学校の依頼で校歌の作詞を仕上げたので、作曲家と一緒に山形まで発表に行くところだと云った。「どんな歌詞だ。最初の二行だけ教えないか」と云うと、草野君は、にやりと笑って「俺、忘れちゃったあ」と云った。
 草野君は東北地方の山や町について蘊蓄があると云った。「奥の細道」のあとを巡る旅行なら、是非とも尾花沢と山寺に行けと勧めてくれた。東北弁は滋味が深いから、行くさきざきの方言で何か文句を書きとめておけと云った。四十分たって草野君と私は各自の車輛に引返した。

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