「日本の気配」 武田砂鉄

いったん書いたエントリーを誤って削除して、バックアップもなかったので書き直し。書き直すといっても何かを書いたかほぼ忘れてしまったので同じことを書いているのか自分でもわからない。その間に同じ著者の「紋切り型社会」を読んだので、印象がそちらのほうと被ってしまいなかなか書き直すのが難しい。

本書を読んだ後に、「コロナウィルス」感染が広がり、国会では「桜を見る会」の質疑があった。春節と重なったウィルス肺炎症の影響で、各地の観光地では中国人観光客は減り、経済的損失が数百億円と報道されている。韓国からの観光客は政治的理由で減少しており今さら「日本へ来てね」とは言えない。マスメディアは一斉に同じ方向へ向き、相変わらず忖度報道が続いている。目先の利益で右往左往するのが今の「日本の気配」といったところだろうか。

米国大統領の弾劾裁判で無罪となったことに対して、突っ込んだ報道を行う日本のマスメディアはあまりなかった。「多数決は民主主義ではない」と言える報道機関は日本にはないだろう。まあ「多数決は全体主義の始まり」とも言えないだろう。多数決が数の暴力となっているのは、今の日本の政治を見ているとよくわかると思う。本書を読んでいるとなぜ日本国民はお上の方針に隷従するすのかということについて考えさせられる。

 偉い人はいつだって世の中を管理しようとする。ならばその管理を問うと、過去と未来に逃げ、現在の問題を直視させないようにする。それに対応するように、物書きが分析屋と予想屋だけになると、「あなたはどう思う?」と問いかけが宙に浮く。そこには感情が無い。それって嫌だなと思う。空気を読んで、気配を察知する。そのために必要なのが、個人としての意見を慎む、だとしたズルい。
 ムカつくものにムカつくというのを忘れたくない。個人が物申せば社会の輪郭はボヤけない。個人が帳尻を合わせようとすれば、力のある人たちに社会を握られる。今、力のある人たちに、自由気ままに社会を握らせすぎだと思う。この本には、そういう疑念を密封したつもりだ。

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